狭山事件

  1963年(昭和38年)5月に埼玉県狭山市で女子高校生が殺害され、被差別部落の青年・石川一雄さん (当時24歳)が犯人として逮捕された冤罪事件。
  同年5月1日狭山市内の高校1年生Yさん(当時16歳)が下校後行方不明となり、同夜身代金を 要求する脅迫状がYさん宅へ届けられた。警察は犯人をとり逃がしたため、被差別部落への見込み捜査を 行い、石川さんを同5月23日別件逮捕した。
  逮捕後、警察は嘘の約束や脅して虚偽の自白をさせ、Yさん殺しで起訴。同年9月4日浦和地方裁判所 の1審公判で石川さんは犯行を認めた。弁護人は自白の不自然さ、証拠物の発見経過の矛盾など無実を主張 したが、64年3月11日死刑判決が出された。
  東京拘置所へ移って同9月10日、東京高等裁判所での控訴審第1回公判で石川さんは無実を叫び、だまされて 虚偽の自白をした経過が法廷で明らかにされた。当時の石川さんには脅迫状は書けないとする筆跡鑑定 などが提出されたが、74年10月31日東京高裁・寺尾裁判長は、無期懲役の判決を行った。77年8月9日 最高裁は上告を棄却、2審での無期懲役刑が確定した。
  同8月30日弁護団は東京高裁に再審請求を行い、脅迫状の日付訂正箇所が自白と食い違う点を新証拠 として提出したが、東京高裁は証人喚問や現場検証等事実調べをまったく行わず、80年2月7日付けで再審 請求を棄却する決定をした。弁護団は、殺害方法が自白と食い違っているとする法医学の鑑定書や、証拠物 の発見・押収経過の疑問を示す元刑事の新証言などの新証拠を提出し、事実調べを裁判所に求めるとともに 、検察庁に対し手持ち証拠の開示を求め、国会でも取り上げられた。
  弁護団は、86年8月21日東京高裁に第2次再審請求を申し立てる。94年(平成6年)12月21日石川さんは 、31年7ヶ月の拘禁生活のすえ仮出獄。無実を訴え再審の闘いを続けたが、2005年3月16日最高裁は特別抗告 を棄却し第2次再審請求の幕が下りた。石川さんの無実を無罪にするために、第3次再審請求に向けて闘い の輪を広げることがいま強く求められている。          (99年『新修 部落問題事典』一部改)

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